クロスケの家

施設の紹介

母屋

約50年前に越生から移築された民家で、築100年以上。
木造瓦屋根の2階建てで、ケヤキの大黒柱は一辺が30㎝以上もあります。
1階:61坪、2階:33坪。
2005年12月より改修工事を行ない、農家の雰囲気を残して、二階は床を補強し、窓には木の格子を取り付けました。
縁側、囲炉裏や襖絵などが残されています。

クロスケの家以前

所沢市は、明治初期から昭和にかけて、「狭山茶」生産の中心となった地域です。
そのなかで、この「クロスケの家」は、明治期に建てられた母屋を中心としながら、主に第二次世界大戦後から製茶業をはじめた農家の屋敷です。
かつては製茶業を営む和田氏が所有していましたが、2004年に財団が活動拠点として取得し、現在では「クロスケの家」と呼ばれています。

建物の概要

母屋は敷地の中央北寄りに位置しています。構造は、木造2階建て、切妻造瓦葺で、1階の下屋部分の屋根は葺き替えられています。
外壁は押縁下見板張りと漆喰塗り仕上げを組み合わせたもので、室内には33㎝角の大黒柱を有しています。
現在の母屋は2代目で、それ以前の母屋は昭和30年に火災で焼失しています。現在のものは、昭和32年に越生にあったものを移築したものです。

歴史

クロスケの家は江戸末期には現在の位置にありました。当時は農業に専念し、後には質屋を開業した家だったようです。
6代目の時に養蚕と製糸を行ない、茶業も始め、明治35年には敷地西側に蚕室を立て、桑を植えています。のち8代が養蚕場を建て、大正期に入り、9代目のときに養蚕に加え、製茶にも従事するようになりました。
旧所有者の和田家では、財団に所有権が移転する平成15年まで茶業が行なわれていました。現在の和田家の茶工場は、クロスケの家に沿った道路の向かいにあります。

母屋の利用

昭和30年代に生業としていた製茶の作業時には、母屋の土間や軒下にムシロを敷き、生の茶葉を広げておきました。多いときには、10畳の座敷と居間の2室も畳をはがして板間とし、そこにムシロを敷き詰めて茶葉を広げました。和田家では、自園で摘採した茶葉に加えて、生葉も近隣の農家から買い取っており、一度に多くの茶葉が集められていたためです。
生葉は発酵して熱を発するので、茶葉を手でかき混ぜ空気を入れて、発酵を防いでいました。
  • ホームへ戻る